コロナウイルス感染拡大防止のため、学校が休業になって一ヶ月半が過ぎ、子どもたちの危惧される様々な状況も指摘されています。
今回、アメリカ等での感染者や感染による死者の割合からも、人種による大きな格差が指摘されています。人種による経済的・社会的格差、医療的格差が指摘されています。世界的にも、家庭内でのDVや虐待への対応も課題になっています。
子どもにおいては、成長途上にあるだけ、そのような経済的・社会的格差や、家庭の影響をより強く受けるでしょう。
子どもは試す
教員経験のある人なら、子どもに試された経験はおありでしょう。教員の指示に抵抗したり・反抗したり、一言一言に揚げ足をとったり…。いわゆる「子どもに試される」経験はおありだと思います。その時、額面通り子どもは抵抗したり反抗しているのかというと、その時、教員がどのような対応をするのか、この教員は信頼に足る教員なのかどうか?子どもから値踏みされているのです。
とりわけ、課題の大きな子どもほど、その眼は鋭く、教員の視野と心の広さを試されるように思います。
私も何度も子どもから試されました。教員生活で初めて3年生を持った時のことです。2年生で大変なやんちゃをした学年でした。その中心にAさんがいました。
しかし、始業式当初の出会いや、その後のトラブルや事件も、子どもたちの心を揺さぶることができ、学年も個々の教員も、子どもたちと一定の信頼関係を築いて夏休みに入ることができました。
夏休み終盤、最もやんちゃだったAさんの活動する地域の子ども会を訪問しました。子どもたちが寄ってきて、「夏休みどうしてた?」「先生、ぼくプール行ってきてん」「私な、旅行に行って…」と、次々に報告してくれる子どもたちの中で、一人Aさんは距離をとっていました。私は「久しぶりやな、Aさん」と話しかけました。しかし、私のあいさつ一つにも試してきました。(あれっ?1学期は良い状態やったのに、なんでやろう?)と思いながら2学期を迎えました。
夏休み、全ての子どもは楽しいか?
2学期を迎え、 宿題の点検や夏休みの過ごし方を把握していた一つに、夏休みについての作文を書いてもらいました。「夏休みにがんばったこと、楽しかったこと、先生に伝えたいことを書いて下さい」と言って書いてもらいました。
多くの子どもが家族と旅行やプールに行ったことを、夏休みの楽しいこととして書いていました。しかし、Aさんは、「家の近くにお母さんと買い物に行った」という一行でした。その時私は(そうか!夏休みの子ども会でのあの態度は!)と思いました。
他の子どもが家族との楽しい思い出を「先生聞いて!」と報告している横で、Aさんはどんな気持ちでいたのでしょうか?私はAさんに申し訳ない気持ちと(2学期、もう一度そんなAさんを学年・クラスの中心に据えてやっていこう!)と思いました。
「試す」子どもの姿から始めよう!
今、仕方のないこととはいえ、学校の休業が続く中、テレワークによる保護者の在宅とか、タブレットでの学習と無縁な子どもたちも存在しています。
コロナ騒動の一定の収束の後、再開される学校では、昨年度と新年度の積み残しの教育課程に対応することが求めれています。教員の皆さんはその指導と対応に大変でしょう。
しかし、その折りにも是非とも、学校休業の間、様々な課題を抱えた子どもたちの存在に思いをはせ、受け止める土俵を大きく持って、子どもたちの「試す」行動にも心を配りましょう。学習の遅れを取り戻すのは、もちろん大切なことですが、全ての子どもたちを受容することはもちろん、入り口で立ち止まっている子ども、「試している」子どもたちをしっかり受け止めましょう。